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zoom RSS ピカソ美術館 〜初期の作品〜

<<   作成日時 : 2006/06/12 00:06   >>

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それでは、実際に作品を眺める為に歩き始めてみましょう!

順路を示す矢印に従って、まずは第1室のある2階へ向かいます。
第1室に展示されているのは、ピカソ初期の作品ともいえる絵画の数々(^^)


画像
「カサヘマスの死」
(1901年)

スペインで生まれ芸術的センスを磨いてきたピカソは、いつしか “芸術の都パリ” へ出ることを夢見ていました。

1900年に初めてパリを訪れたときに、ピカソに同行していたのが親友のカルロス・カサヘマス

思いを寄せていた女性との関係がうまくいっていなかったカサヘマスは、
日を重ねるごとに衰弱していきます。
ピカソはカサヘマスと共に帰国し、懐かしい空気の中で彼の復調を願ったものの、回復の兆しを見せることなくカサヘマスはパリへと戻り、挙句ピストル自殺。

親友の、早すぎる死。
原因の一部にはカサヘマスと女性、ピカソとの間に三角関係があったという説も。
この絵はピカソがカサヘマスの死を悼んで描いたもの。
1901年のこの段階では色彩豊かに描かれていたピカソの作品は、
親友の死を境に、暗く悲しい色調を帯びていきます。



画像
「セレスティーナ」
(1904年3月、バルセロナにて)

背景全体に塗られた青暗い闇。
親友の死後、ピカソの作品のほとんどは青を基調として描かれ、
そのことから「青の時代」と呼ばれるようになりました。

“セレスティーナ” というのはスペインの俗語で売春宿の女将を意味し、青の時代のピカソは乞食や売春婦などを題材として多くの作品を残しています。
社会の下層部に生きる人々を見つめながら、自分自身の状況と重ねあわせつつ貧困や絶望について考え、描いていた時期。

青の時代の作品でもう一つ有名なのは、1901年に描かれた「自画像」
やはり背景は深く暗い青で一色に塗られ、落ち窪んだ目、痩せこけた頬、
伸びきった無精髭姿でとても20歳には見えないほどで痛々しい。
祖国とパリを行き来していたピカソの絵の中で、スペインで描かれたものほど色調が暗く感じるのは、死んだ親友への思いが落とした影だったのかもしれません。



画像
「マドレーヌ」
(1904年、パリにて)

1904年、ピカソはついに祖国からパリへと移住して来ました。
生活と活動の拠点になったのが、アトリエ洗濯船。ここで彼は画家達のモデルをしていたフェルナンド・オリヴィエと出会い、二人は恋人に。

この頃からピカソの中の暗い世界は少しずつ明るさを増し、色彩が戻ってきました。 「青の時代」から
「バラ色の時代」への移行。

この “マドレーヌ” というタイトルがつけられた絵のモデルが誰なのかは不明。
製作途中で放棄されたような描きかけの絵だけれど、
髪の艶や頬と唇の血色を見ると
ピカソの世界に色彩が戻りつつあったことが窺えます。


ピカソの人生には、芸術の女神(ミューズ)として多くの女性が登場しています。
フェルナンド・オリヴィエはその最初に登場する女性。
ピカソという芸術家を語るときに、欠かせない女性達の存在。

“ピカソと女性たち” については、次の記事でご紹介します♪(^^)

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